AKOMEYA TOKYOは、2013年4月24日に1号店がオープンしてから、今年で10周年を迎えます。
今回のAKOMEYA通信では、AKOMEYA TOKYOの山本浩丈代表取締役社長が、「アコメヤのこれまでとこれから」について熱く語ります!
今回のAKOMEYA通信では、AKOMEYA TOKYOの山本浩丈代表取締役社長が、「アコメヤのこれまでとこれから」について熱く語ります!
目次
・AKOMEYA TOKYOとの出会い
・コロナ禍での大転換
・「食のカタリスト」として日本各地の作り手と使い手をつなげていく存在に
・アコメヤのこれからの10年は「地域を元気にする」きっかけとなりたい
・私の一推し「飯南町産コシヒカリ」
・地域を元気にし日本を元気にするため「同志」とつながる
・コロナ禍での大転換
・「食のカタリスト」として日本各地の作り手と使い手をつなげていく存在に
・アコメヤのこれからの10年は「地域を元気にする」きっかけとなりたい
・私の一推し「飯南町産コシヒカリ」
・地域を元気にし日本を元気にするため「同志」とつながる
AKOMEYA TOKYOとの出会い
最初に私が出会ったのは、まだAKOMEYA TOKYOがオープンする前の準備室の頃。サザビーリーグのインキュベーション事業部にいて新規事業開発や海外事業展開をしていた時に、隣にいたのがアコメヤ準備室のチームでした。
当時フライング タイガー コペンハーゲンの案件が来て私が担当する形になり、最初のお店をオープンした年が、ちょうどAKOMEYA TOKYOのオープンと全く同じ年の2013年だったんです。アコメヤは4月でフライング タイガー コペンハーゲンが10月。横で見ながら一緒にスタートアップをして、兄弟ブランドのような思い入れがありました。
また元々食が好きなので、アコメヤの銀座店(2020年閉店)の3階で開催していた「利きの会」に参加したり、ラカグで開催していたワインやチーズのイベントに参加したり、アコメヤに異動することが全然決まっていない頃からアコメヤのコンテンツが好きで、「なにか面白いことをやっているな」と思ってユーザーとして参加させてもらっていました。
10年前は、和のテイストのキュレーションショップはあまり無く、そのキュレーティング力の高さが注目を浴びていたし、その絶対的価値と相対的価値が高かったのが銀座1号店だったと思います。
ただ、時間経過とともにキュレーションショップが増えて相対的価値が徐々に下がってきていたのは、否めない事実かなと思います。
そんな中で、フライング タイガー コペンハーゲンをバトンし、手を挙げて「アコメヤに行かせてほしい」という話をさせていただいたんです。アコメヤに異動してきたのは、ちょうどコロナ前夜の2019年でした。