今回の「台所道」でアコメヤがセレクトした「切る」道具は、株式会社タダフサの包丁。
タダフサは、昭和23(1948)年に新潟県三条市で創業した、庖丁工房です。
タダフサの包丁作り


“鍛冶の町三条”として知られ、歴史のある金物産業の町、三条。
その中心部を流れる五十嵐川は昔から暴れ川と呼ばれ、幾度となく氾濫を繰り返してきました。
寛永2(1625)年から3年間、代官所奉公として三条に在城した大谷清兵衛は、五十嵐川の氾濫に苦しむ農民を救済するため、江戸から釘鍛冶職人を招き、農家の副業として和釘の製造方法を指導しました。
寛文元(1661)年に会津地方から新しい鍛冶技術が伝わると、製品も釘から鎌、鋸、庖丁へと広がり、専業の鍛冶職人が育ちました。鍛冶専業者の増加に伴い、自然と金物を取り扱う専門の商人が出てくるようになり、五十嵐川や信濃川などの河川を利用し商圏を広げ、”鍛冶の町三条”が全国へ知れ渡ることとなりました。
その中心部を流れる五十嵐川は昔から暴れ川と呼ばれ、幾度となく氾濫を繰り返してきました。
寛永2(1625)年から3年間、代官所奉公として三条に在城した大谷清兵衛は、五十嵐川の氾濫に苦しむ農民を救済するため、江戸から釘鍛冶職人を招き、農家の副業として和釘の製造方法を指導しました。
寛文元(1661)年に会津地方から新しい鍛冶技術が伝わると、製品も釘から鎌、鋸、庖丁へと広がり、専業の鍛冶職人が育ちました。鍛冶専業者の増加に伴い、自然と金物を取り扱う専門の商人が出てくるようになり、五十嵐川や信濃川などの河川を利用し商圏を広げ、”鍛冶の町三条”が全国へ知れ渡ることとなりました。
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このような三条の鍛冶の歴史の中、昭和23(1948)年に初代・曽根寅三郎さんが曽根製作所(現在の株式会社タダフサ)を創業しました。当初は鎌・小刀・庖丁などあらゆる刃物を手がけていましたが、しだいに漁業用刃物を作るようになり、その後、家庭用刃物・本職用刃物・蕎麦切り庖丁などにも取り組み、現在に至っています。
創業以来、全ての工程を職人の手作業で行い、その一丁一丁に心を込めています。
創業以来、全ての工程を職人の手作業で行い、その一丁一丁に心を込めています。


オールステンレス製の包丁が主流の中、タダフサでは昔ながらの鋼材を使い切れ味にこだわり、道具の手入れも楽しみながら良い包丁を何十年も使い続けることを勧めています。
切れ味のいい鋼を錆に強いステンレスで挟み込んだ三層構造のブレードを使うことで、鋼の切れ味とステンレスのさびにくさの両方の利点を活かしています。
切れ味のいい鋼を錆に強いステンレスで挟み込んだ三層構造のブレードを使うことで、鋼の切れ味とステンレスのさびにくさの両方の利点を活かしています。

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