信楽焼は、奈良時代の742年、聖武天皇が近江国甲賀郡紫香楽村に「
紫香楽宮」という離宮を造営する際に、紫香楽宮の屋根瓦を焼いたことが始まりとされています。
室町時代には、この頃発展した「茶の湯」において、信楽焼の釉薬を使わない土味をいかした風合いがわび茶の精神性に通じるとされ、茶陶として愛されるようになりました。
江戸時代には、登り窯ができたことにより大量生産が可能になり、また施釉陶器の需要が増えたことから釉薬も使うようになり、日用雑器を作る一大産地として発展しました。また、将軍家に献上する宇治茶を入れるための御用茶壺など、茶壷の生産も盛んでした。
明治時代には、火鉢の生産が盛んになり、昭和30年代まで全国シェア1位(約80%)を誇る主要製品でした。
昭和に入ると、近代化にともない工業用品も作られるようになり、信楽焼の建築用タイルは国会議事堂の屋根にも採用されました。火鉢景気が落ち着いてくると、観葉植物用の植木鉢が主力製品になりました。
信楽焼の代名詞ともいえる「たぬきの置物」は、「狸庵」の初代・藤原銕造が明治期に作ったものがはじまりで、昭和26年に昭和天皇の信楽行幸の際、このたぬきの置物に日の丸の旗を持たせて沿道に並べて歓迎したところ、昭和天皇がお喜びになり「をさなきとき あつめしからに なつかしも しからきやきの たぬきをみれば」という御製を詠まれ、それが全国的に報道されたことから一躍有名になりました。
信楽焼は、昭和50年9月に国の伝統工芸品に指定され、平成29年には「日本六古窯」として日本遺産に認定されました。
信楽焼の特長